2016年01月26日

78年前から来たメール

ピリッと気にかかるスパムが飛んでまいりました。

ヨタ物ではありますが、大変久々にスパムを紹介申し上げます。
送信者:"(末期ぃの公開アドレス)"(Qe8lnO344O@v431w7w88avoqomob.net)
件名:東京オリ.ンピック中止のお知らせ。
日時:Tue, 26 Jan 2016 14:03:55 +0900 (JST)

【公式】朝日新聞一面記事 (JPEG / 2.7MB)

物凄く久々にメールを引用するので、上のメールを貼りつけるだけでも10分かかってしまいました。
 Windows XPがまだ使えたらなあ…

 さて最近飛んでくるスパムは本文が殆ど無くてリンクだけのつまらない物ばかりで、全然読むに値しないのですが、さすがに気になりましてリンク先を調査しました。
(皆様はスパムメールのリンク先を見に行ったりしないでくださいね)

こんなページでした(クリックすると別ウィンドウでキャプチャ画像が開きます)
tyolympic.jpg
 例によって「バカンス」(v427jwxb2neljtmob.net)という出会えない系サイトですが、会員から投稿されたメール表示するページという体裁になっております。

 そのメールに添付された画像が「オリンピツク東京大会」を返上するという新聞記事のコピー。ご丁寧に、記事をテキストに起こした文章を添えております。

 図書館の閲覧室でこの誘導先を見てしまい、『やられた!』と笑いを堪えるのが辛かったこと…

 昭和史に学んだ方は東京オリンピツクが昭和15(1940)年に企図されたこともご存じでしょう。
 当時オリンピック開催都市は5年前に決定するはずだったものが、昭和10(1935)年ヘルシンキでの総会が東京、ヘルシンキ、ローマの3都市を候補に紛糾。ローマは降りたが翌昭和11(1936)年6月になってロンドンが立候補宣言するなど熾烈な争い。
 ロンドンは撤回して1936年7月29日から31日までベルリンで行われた総会で、ついに東京がヘルシンキを36対27票で下し招致成功。その翌日がオリンピックベルリン大会の開幕でした。三段跳びの田島、女子200m平の前畑などの大活躍は伝説。

 もしロゲ会長が「TOKYO 2020」と書いた札をくるっと裏返した日がロンドンオリンピック開幕前日だったとしたら、想像を絶するすごいテンションで競技に突入したことでしょう。

 東京市はオリンピックに併せて万国博覧会も企画し、例えば勝鬨橋も会場の埋め立て地へのアクセスのため建設されたものでした(昭和15年竣工)。

 しかし時勢は味方せず、招致成功時既に軍部が良い顔色をせず消極的。翌昭和12年オリンピック委員長ラツール伯が来日し準備の遅延を指摘特に、神宮外苑会場案に特に難色を示「もし外苑の改造不可能ならば七、八万人の収容力で結構。」と助け舟を出される始末。

 翌年4月主競技場を駒沢に変更など足掻いたが、既に戦時体制下であり欧米から物資が入ってくるあてもなく銃後の国民がオリンピックで浮かれている場合ではないとまり、スパム誘導先の記事の翌日7月15日閣議でオリンピック返上を決定。
 できていたのは戸田のボートコースの1/3ほどで、道路などインフラも整備手に着かずの有様でした。

 なお、あまり知られていませんが、昭和15(1940)年は札幌冬季オリンピックも招致され(昭和13年3月16日決定)2月3日から開催の予定でしたが、7月16日に東京大会と運命を共にすべしと政府勧告に従い返上となっております。

 そんな興味深い昭和史を拾ってきたスパマーに、一顧の敬意を表します。目的も手段も反社会的ですけど。

 …いまの政治も行政も78年前と同じようなことやってんのね…
posted by 末期ぃ at 16:58 | 鹿児島 ☁ | ペテン系 | Comment(0) | TrackBack(0)
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